東京2日目 Alec Soth / Gathered Leaves
2022年9月19日
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2日目は神奈川県の葉山までアレック・ソスの展示「Gathered Leaves」を観に行く。
葉山という土地をもっと周りたかったと今では思っている。

アレック・ソスの展示は最初に展示されていた<SLEEPING BY THE MISSISSIPPI>の展示室が暗くて驚く。全ての作品を統一したサイズで展示することには言及されていたけれど、照明についての説明や資料はなく、その暗さから写真は美しく見えず、これがミシシッピの明るさなのか、何なのか。写真集の良さを思い出しながら見ることとなる。

その後に展示されていた<NIAGARA>は美しかった。先程の<SLEEPING BY THE MISSISSIPPI>から逆を言えば、MACKから復刻された写真集『NIAGARA』の印刷の燻んだ色味を実感することにもなった。最初にSTEIDLから出版された『NIAGARA』を見たことがないけれど、MACK版の『NIAGARA』はとにかく印刷が眠たい。プリントを見て、あの本の欲しくなさは写真の魅力の伝えられてなさだと実感することになる。

3室目は<Broken Manual>。葉山での展示の主役はこの作品だった。最後の展示室には同作を制作する旅を捉えた記録映画『Somewhere to Disappear』(2010)が上映されている。世の中から外れた人たち、その人たちとの出会い、声を掛けて話す様子。写真撮る姿や、緊張しながらも人と出逢いに行く様は、写真家による不明確なものへの欲求や探究への精神を見ることができる。車に乗りながら辿る地道な足取り。ハンドルに貼られたメモと偶然に巡り合う何か。分からないものばかりの世の中で、探究や移動することによって出会うものがあるという現実を映す1時間。

モノクロームのシリーズである<Songbook>は写真集と比べて写真のサイズに差がありながらも、コッテリとした色の乗りが心地良かった。明るさに左右されないように白黒を選び、タブロイドのスピード感を保持するためにデジタルカメラを選ぶ。ハンドルにメモを貼り付けることもそうやけれど、偶然出会うものを待ちながらも、それを確実に捉えるための「用意」を怠らない姿勢や考えには学びたいところが多くあった。

最新作の〈A Pound of Pictures〉によって本展は終わる。作品らしく額装するのではなく、作品の世界観を壁面で表現する。写真集に封入されていた写真の痕跡をそのまま壁面に現すような展示。唯一窓のある展示室があった。葉山の景色が見える展示室に飾る作品として、手に取るような当作品は合っていたと思う。

アレック・ソスの作品が様々見ることができ、記録映画にも満足したが、この会場の暗さや照明は果たしていいものだったのかが今でも分からない。『NIAGARA』の写真集としての暗さもあり、「眠たさ」は写真集・展示に関わらずアレック・ソスの作品を鑑賞するための核だったりするのだろうか。葉山館に行ったことも初めてで、アレック・ソスの展示を見たのも初めてで、特殊な環境であったのだろうか。と、「だろうか」を続けている。