PURPLE —スライドショーと本の納涼祭—
2022年9月5日
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PURPLE —スライドショーと本の納涼祭—

昨日はPURPLEで赤々舎ゆかりの作家によるスライドショーを観覧。藤岡亜弥さんがNYにいた頃から制作している「Life Studies」を投影していて、作品が完成するまでの距離について考える。長く練られたものがどのような形になるのか、本の形であれば、と考えるけれどその形はなかなか見えない。

亜弥さんが個展で「Life Studies」を発表したのは10年以上前。その頃かそれ以前に撮影された写真。それ以降、新たに写真を撮った訳でもなく、その写真を今でも何かの機会に人目に触れさせている。何度も練り直す行為。作品を本にすること。いつ発表をするか、どのような形式で。作家自身でそれを決めることはできるだろうけれど、周り回った周囲との拍子が合う瞬間。そういった時に作品を集結を迎えるのだろうか。

長く付き合った作品である「Life Studies」のこれからについて、昨日から考えているが、ただ単純に本にする形を考えれば考えるほど、「なぜ今」という疑問が湧いてくる。撮り足すという行為も可能だとは思うけれど、その写真は「Life Studies」と呼べるのかどうか。そんなことを考えてしまう。それこそこの写真を撮ってからの年げつで巡った思考などを合わせて「Life Studies」とそのテキストを写真と同じぐらいの分量で読んでみたい。書きながらそう思った。四六判も合うだろうし、生み出しきれない作品を関わり続けた人の思考の遍歴。そんなものを私は読みたい。

作家によって様々考えがある。一つずつの作品に「決着」をつける人。様々な作品を並行して進める人。完成ではなく継続をする人。そこに意識はない人。自分は平行し継続する人だと思っている。それは永続的に制作することになることもあり、9月に入って制作を休んでいる状況にある。昨月、普段以上に作った反動でもある。10月以降に生活の状況が変わる。それも踏まえて俯瞰して日々を見たいと思っている。一歩引きながら、これから作る作品のことや生活、健康について考えている。様々なことに緊張しているような状態が続いていて、ずっと胃腸の調子がよくない。健康は大事。継続と健康は密接している。

さて、スライドショーについて。スライドショーに参加をしていた作家の半分程度は「作成中」「未完成」「途中経過」という人たちがとても多かった。石川竜一「zk」の悩みに悩んでいる感じも人らしくてとても良かった。沖縄で撮っていた「絶景のポリフォニー」が沖縄だけに限らなくなり、普通の風景も入り込んでいるように思う。彼が何を思い、考えて、今その写真を撮っているのか。そういった話はなかったようにも思えて、私自身は彼自身がこの作品に抱える悩みを色々と聞いてみたいと思った。「作成中」「未完成」「途中経過」を人目に触れさせる舞台としてスライドショーはとても合っていた。それぞれの作家が今の自分に合った形式で発表をする。配信のスタッフの人たちの力はとても大きかっただろうと思う。世の中はオンラインが当たり前になり、今回も多数の人が遠くからその模様を見ていたと思う。不具合も多かったが、あれだけの自由形式をオンラインとして接続し配信するというのは、正直に言って「不具合」無くして不可能だとも思う。30分前まで作っていた作家もいたり、場当たり的状況は、ある意味、直前まで作家の現在を知らせるための舞台として不可欠であったと思う。自分がスタッフであったとしたら心拍数が上がり続けていたのではないか、不整脈の二日間だったのではないかと思い、スタッフの皆さんにはお疲れ様でしたと心から伝えたいと思った。

最後に。スライドショーが終わって「赤姫」という姫野さん主催のバーが始まる。宴会のようになる会場でどんどん酔っ払いが増えていく状況に懐かしい気持ちになった。自分の普段からお酒の機会が減っていたこともあるが、立派に酔って声が大きくなり千鳥足になる日常を抱えた人がこんなにもいることを懐かしく思って見ていた。