生活
話をする話
2020年9月8日
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この話というわけではなく、眠たくなって眠ってしまうくらいギリギリまで何かに対して本気で話したい。それはもう気持ちがのめり込むように。そうやって何かに対して話していれば、どこかで予想しない一言が生まれる。これはお互いがどんな形であっても本気で、その時間に対して熱心であるからではないかと。

先日は真剣に目の前のものを食べていただけなのに、本気食いであるが故に「本気食いであるおかしさ」に気づいて口を止めてを震わせながら笑った。ここに言葉はないが、「本気で熱心」は予想だにしないものを生む。

今何について話したいかというと「最近」についてだ。最近を話す。今熱中していること。これからやろうとしていること。最近思い出したこと。言葉にすることの難しさをよく感じていたのは20代も終わりの頃までだ。

言葉を出そうとすると訪れる、着地点の見えなさと話はじめの「伝えたかったこと」が前段程度を一生懸命言葉にするあまりに「もう信じられない」ぐらいに訳が分からなくなってしまう。

あの日々の苦しみを思い出して、今もしんどい。あの頃はすべての物事が悩み事だった。写真を撮っているときだけは奇跡のように真っ白で鮮明で思考ではなく感覚だった。言葉から離れるためには写真であって、今は写真を撮って考えて、それによって言葉が湧いたりする。

全ての悩みが言葉に絡まって、言葉の全てが悩みになるようなあの頃を思い出した。

答えを求めるわけではなく、発し合うこと。言葉にしたものとされたものでさらに疑問が増える。眠たくなるまで。また話そうと、その日が終わるまで。