旅『熊野マウンテンビルディング・健康』
2017年9月17日
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1日目

和歌山県 小口に来た。「健康」というスペースに来た。「健康」はスペースの名前ではなかった。「健康」は1984年生まれの写真家であり友人の芹川由起子が中心となった展示会・活動の総称である。

「健康」とは、オルタナティブ・フリースタイル・愉快、な事。そんなプロジェクトです。
愉快なことを集めたいと思っています。
2017年7月中旬から10月頃まで、期間限定で熊野古道の町、和歌山県新宮市にある「熊野マウンテンビルディング」で開催予定。ワークショップなども計画中。

詳細:https://kenkoundo.tumblr.com/

「健康」の舞台である熊野マウンテンビルディングはとある人が発起人となって、ゲストハウス兼アーティストインレジデンススペースとして運営をするスペースが元になっている。現在は準備中で、僕が滞在した数日の間は芹川さんがゲストハウスの開業準備と共に作品制作であり健康という活動をしている期間だった。発起人は伊藤洋志さん。『ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方』の著者である。生業(ナリワイ)を基軸に様々な活動であり労働をされている。さて、熊野マウンテンビルディングである。熊野マウンテンビルディングは元々は農協だったビルが元になっている。電気と水道はなんとかあるが、ガスは通っていない。現代的とはそうそう言えない場所だった。水が出ることに安心し、必要最低限に取り付けられた蛍光灯が灯る。「それに安心した」というのが第一印象だった。後から知ったことだが、電気を通さないことも考えていたようである。夜はヘッドライトのみで過ごす宿泊しながらのサバイバルの場所。熊野マウンテンビルディングに泊まる人はもはや熊である。

小口に行ってから一ヶ月が経とうとしている頃にこのブログを書いている。今となってもこの日の夏休み感が忘れられないでいる。この日々を色濃くいてくれたのは芹川由起子はもちろん、身にしみるような自然はもちろん、何より近所のおじさん(自然遊びの先生)の存在が大きかったのである。

このおじさんが自然の色々を教えてくれる。言葉ではない。自然との接触を作って行ってくれるのだ。

まずは「滝」だ。この年になれば何度か見たことはあるが、綺麗な滝があろうとも、綺麗な滝には柵が付き物だ。自然を目の前にして近づけない。親切に見えた「不慮の」を抑制するためのその柵は景観なり感動なりを少なからず邪魔している。が、この日に連れて行ってもらった滝は、自然のままの滝だった。

滝に近づき入るためには、崖が崩れて通行止になった道を越えなければいけない。道程のアスファルトは多量の浸水からデコボコとなり、機能を果たしていない。通行止めは当たり前。滝壺の手前は鬱蒼とした雑草と獣道。そこを越えてやっとの滝壺は柵もなく人もいなく、ただ自然のままに轟々と私たちを迎えてくれていた。

水の綺麗さは色や透明度でわかる。引き寄せられるような水質に感動する。引き寄せられればその水に浸かり、泳ぐ。自然とは当然なもので、自然のままにこちらを受け入れてくれる。滝壺は程がいい。深さも、プール然とした広さもである。ゆったりと泳いで水底を見れば魚が泳いでいる。そこにある石一つ一つの個体差について考えてしまうくらいに、こちらの知覚は鮮明に機能している。あるがままの自然は、人の感覚をより明確に、より鮮明にしてくれていたと思う。そんな滝が二つである。小口に来て、川に入るつもりではいたが、初めての川が二つの滝壺で始まったのだ。これは贅沢である。自然の場所にいま居るのだ。それを感じずにはいれない体験だった。二つではあるが、双方の滝としての個性が忘れられないのだ。泳ぐことで自然にのめり込む。本来は当たり前のことなのかもしれないが、「こんなに大きな滝の下で泳いでもいいのだな」と、一体感に感動していたのだ。とても贅沢だった。

晩御飯。滝壺を案内してくれたおじさんに、その日に釣った鮎を50匹ほど頂いた。50匹。それがこの場所のポテンシャルだった。からっと揚げた鮎は絶品だった。一緒に食べた茄子も(盆の行事の後に川に浮いていたもの。食べいいらしい。)、キムチも(ローソンのPB商品)、米も(炊飯器がないので鍋で炊いた)、あとおじさんがさらにくれた鹿肉も(猟師でもあるらしい)、それぞれをよく味わって食べた。全てカセットコンロで建物の軒先で調理した。味もシチュエーションも格別。近所の宿泊施設に宿泊していた旅行客も寄ってくるほどだった。ビールが欲しいと言ったので、ビールをプレゼントした。

一日の締めに足を川に浸しながら話した。尽きない話。話題はよくある話を主題として、個人性を強めて率直に話し合った。

 
2日目

朝に起きてストレッチ。そして二度寝。宿泊場所を拠点としながらも、(現在の)家主を中心として周辺をフラフラと歩く。撮るも捗るが、普段の喧噪から距離のある田舎のソレは回復のソレであった。太陽は強い。影は濃過ぎず程が良い。トンボは一般に比べて顕著に多量である。普段から距離がある。それは心地良さとして受け入れられる。有難がって感じている。そういう日々を求めていたのはこういう場所に来てこそ分かるのだ。

この日は瀞峡。そして湯の中温泉。美しさと暑さと気持ち良さ。時間の進み具合は非常に遅い。そして、バーベキューである。ビルの屋上で着火剤。大自然の中ではあるが、少し大自然から離れてしまう。なんとも言えず人工的である。火を起こす。暗さを見えるようにする。一つ一つ考えるが、すでに準備されているものがあり、少しずつこなしていく。火起こしに感動する。着火剤はあるが、着火剤でも点かないことはある。なかなか点かないことにはイライラよりも悔しさが芽生える。意地も意地でなかなか着かない炭に試行錯誤を重ねつつ、点火に行き届かず、募る悔しさを放っては置けず、最終的には吹いて吹いて吹き切った頃にボォッと点火したのだ。

やはり一日の締めは川である。職場で買った花火もした。線香花火のはずが、ボ!と燃えてすぐ消える風情の欠けた花火だった。

 
3日目

朝から体が重い。この旅に出る数日前に体調を崩していた。体調のことは旅とともに頭の中から抜けてしまっていた。前日のバーベキューとビール。最後に飲んだ焼酎(とても強かった)がいけなかったのだろう。歩いても、川に入っても、そして昼寝をしても、身体は重たいままだ。なにより、座っていると手の先と頭の先がしびれてくる。

最後の日の思い出がこんなことではいけない。そう思って、川への入水をもう一度したけれど、やっぱり身体はしびれていた。二日酔いではない気もした(拒否反応?)。小口という土地は肌に合っていた。半分かそれ以上、絶えず自然に触れている感覚は、短期間の旅行者として、とても心地よかったのだ。友達やお世話になった近所のおじさん。全てを惜しみながら帰宅の途についた。

最後まで痺れた人を遠くの駅まで送ってくれた友達。最後までお世話をしてくれた地元のおじさんには本当に感謝している。ここでの数日はこの人たち抜きでは生き延びれない。大げさかもしれないが、ひもじさとの無縁はこの人たちが全てだった。ずっと満たされていた。電車に乗ると痺れは消えていた。お土産に持たせてくれたサンマ寿司を頬張って、海を見ながら回想していた。

 
翌日から当然のように始まった日々との対比が、小口での三日間を蘇らせてくれている。旅をすることを続けること。知らない場所に行くこと。知らない人に出会うこと。それがこれからも連続的にあることを願うばかりである。お礼の品を送ろうと思いながら、もう一ヶ月が経とうとしている。