出来事は絶望的である。しかし、読んだ後に絶望感はない。読んでる途中から気持ちが変化する。絶望的な出来事とは両親の自死である。そして、葬儀に立ち会うこともできなかった自身について。生前の手紙や電話。兄から語られる父や母からの言葉。そして写真が起こった出来事をより鮮明にさせる。『Picture of My Life』は切実である。家族、夫婦。生きるために切実なものが、切実に編まれた一冊だ。
一人の作家の作品ではあるが、幾人もの人がこの作品に対してカメラを向けている。作者はもちろん、その出来事以前の父・母・兄を含めた家族たち、葬儀業者。作者である上田さんは写真家ではあるが、当時の写真はまだ写真家以前、一人の青年のものである。写真家以前、写真家と、写す写真にも変化があったと思う。印象的なお父さんの絵画は写真家になって以降、本の制作に向かってからではないかと思う。
また、父と母の出会いの頃の写真がいくつか挿入されていることが、私にとっては親和性を与えてくれた。作者と私は同世代なのだろう。写真のザラザラとした感じや色の褪せ方。服装や水着なんかも、私自身の父と母のアルバムを思い起こさせるもので、今の父と母を見比べつつ、違う感情も生まれた。それぞれに家族がある。家族アルバムとは良いものだ。記念撮影をしている人を見ると、真面目に旅行をしていて良いなと思う。
この難しい主題に対して、写真と言葉の一つ一つ切実に訴えかけてくる要因は、この効果的で魅力的な造本である。『Picture of My Life』のための造本。そう言える。本とはこういうもの。という考えではなく、この作品を伝えるにはこうだよね。こうだよね。と編まれたような本である。この本、とは言ったが、このページ、この写真、この言葉のためには、と細部に至っても、それぞれのための、それぞれの造本。そのように感じたのだ。出来事は大変なものであるが、造本は大変面白い。頁をめくるのが楽しい本である。
巻末に添えられた両親への手紙から推測して、作者の上田順平さんは15年後にこの作品を制作している。15年間、絶えず残り続けている出来事。それは今回の本で収束するものではなく、これ以降も作者にとって、残り続ける出来事であり作品なのだと思う。出来事の当事者ではないため、私自身はまだまだ、巻末の作者の言葉のような気持ちにはなれていない。年月なのか、制作に至ってか、作者自身がどのようにこの出来事を受け入れて今の心境に至ったかも気になるところである。
最後に、お父さんが絵を描いていたことは作者にとって幸運なことだと思う。肖像画は肖像写真よりも受け取りやすいと思っている。その絵は、他人の家族を見る私たちの視線を緩和し彩りを与えてくれた。この作品にとっての大変なアイデンティティである。上田家には家族アルバムが残り、新しい夫婦と家族、『Picture of My Life』が出来た。家族の出来事を誰かが覚えていること、思い返すことができることは良いことであると改めて思った。