展示
キリコ『mother capture』
2017年3月5日
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いつも、自分の人生に重ね合わせながら、作品に昇華させるキリコさん。今回もまたその通りで、自身が結婚をしてから続けている不妊治療から着想した作品。

子を授かることができない悩みを持つ女性は多い。その一人としてキリコさんがいる。自身の体験として、家計の圧迫や痛みを伴う不妊治療を行い、しかし結果として子を授かることがない現実。そして、それと反比例するように子を授かっている周囲の友人達。友人や知人を撮ると言う行為はよくあるが、この個人性現れる作品はキリコさんならではだと思った。

キリコさんの作品にはいつも個人的な周辺が関わってくる。友人、知人。近い人を作品にしていく気持ちはどう言うものだろうと思う。私自身が人を撮らない分、その気持ちが気がかりになる。

今回の作品で扱われるのは「授乳」である。とてもプライベートなものだ。男性である自分。しかも独身である自分にとっては未知のものだ。

きっと、信頼されているのだと思う。キリコさんの扱うテーマはいつも残酷だ。しかし、関わる人々はキリコさんの作品に対して、いつも応えている。拒否をした人がいるかは知る由も無いが、応える人が必ずいるのだ。そして、キリコさんから離れない。キリコさんがプライベートを扱う作家であることを知った上で、皆が協力をする。だからこそ、信頼されているのだと思う。

一個人としても、キリコさんを信用している。何かを話す対象として、いつも浮かぶ。それがキリコさんだ。それでも、扱う題材を見たり、仕上がった作品を見たときに、彼女が背負う影について、見ている私自身が悩むことがある。羨むような視線を感じるし、自問自答の要素をすごく感じるのだ。

自問自答。自分を考えるか。自分の人生を考えるか。自分の作品を考えるか。周りと比べるか。難しい問題だが、彼女に何かがあったとき、きっと背中を推すだろうと自分自身に思う。それは個人的な話で作品とは別のところだ。

『mother capture』を男性として見たとき、見れて良かったと思う。男性と女性で、それぞれの性に対して知っていることと知らないことがある。どうしても秘め事として扱われることもたくさんあるだろう。授乳とは、幸せの風景である。ただ、不妊治療がうまくいかない中で対する、他人の授乳の風景は、その人にとってどう映るのだろうか。窓から差し込む明るさに反比例して、逆光の中にある作者の眼差しを思った。

 
キリコ展 『mother capture』
2017年2月25日(土)-3月25日(土)
ギャラリー ヤマキ ファイン アート
http://www.gyfa.co.jp/jp/exhibitions/kirico2017.html