この数日の忙しさで薄まってしまったラ・ラ・ランドである。
映画館で映画を見るようになったのはここ数年。そんなにたくさん見に行くわけではないが、なによりも家で映画を見なくなったのだ。その原因はテレビが小さいことと集中力が続かないこと。ちょうど良い椅子がないこと。などだろうか。
映画を見るのも感想も環境が左右する。家よりも映画館。うるさい客よりも静かな客である。ラ・ラ・ランドは隣の客がイチャつく客だった。正直全然気にならなかったがそういう客だった。
歌に音楽に、とても良いものだった。絶賛とはならないが、映画館で楽しむには最高すぎる映画だった。映像もストーリーも楽しい。あんなこともこんなことも起こる。音楽を主軸として、人が生きる様は見ていて楽しいものだ。
根が暗いというかただ暗い、と言うと寂しいのでテンションが低めの私だから、ラ・ラ・ランドかバッファロー’66を選ぶとしたらバッファロー’66だ。テンションが自分と似通っているのだろう。波長が合うというやつだ。
ま、ラ・ラ・ランドだ。ジャズは古典的なものがいい。それだった。現代的アレンジというか、シンセサイザーがピュンピュン言うものには未だに慣れないでいる。レコードは相変わらずモダンなものだ。
映画を見ていて良いなと思うのは、「何かを思い出す」と言うことだ。物語は架空でありながら、現実的な自分の生活や周囲の人々を思い出すことがある。代わりに写真は然程(さほど)であることが多い。今もパッとは思いつかない。どちらかといえば遠くのこと。はたまた写真のことだ。
ある人に僕自身のことを占ってもらったことがある。「近くから遠くを見ることがあなたの特性です」そう言われたことがある。これによって、私は占いについていたく関心を持つことになるのだが、それが私の写真であり、写真を見たときに思うことでもある。
周囲とは近く。写真で周囲は思い出さないと言うことだ。
ラ・ラ・ランドは映画らしかった。だからこそ写真を思い出した。誰かと「映画を見に行こう」と言われたら、もしくは誰であったとしても言われたら、ラ・ラ・ランドを選べばなんとかなる。そんな風に思った。
また数日後に人と話していて、「見たけどよく分からなくて途中で寝てしまった。」と言われた。人それぞれだ。