生活
誰かの時間軸
2024年1月17日
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最近、自分以外の誰かの時間軸について考えることが多くなった。自分自身で言うとだいたい2ヶ月から3ヶ月、遠ければ1年後の予定が決まり始める。それは働くとは別のところで決まる予定で、自分が会いたいと思う人、話したいと思う人、そう言った人たちは自分よりも早く先々のことが決まっているよ言う実感もある。そう言った人たちへ何かをお願いする際には数ヶ月後のお願いに対しても、一か八かという思いがある。

それは現実としても大体その通りで、近頃では半年先の予定が叶うことは五分五分というところである。遠くに存在していると思っていた人たちと、少なからず現実的に関わることになってきたようにも思う。そのため、ひとの時間軸(それは先々の予定という方が伝わり易いと思う)は、すでに決まっていることも多く、断りの連絡をいただくことも多くなる。そこに、私自身は残念な気持ちもあるものの、何かを作り続けるための実際を実感することでもあり深く納得する。そして、そうなりたいとも思うし、新たなものにまともに立ち向かう態度について考える機会になっている。私が出会いたいと思う人はいつでも更新し、何かしらの新たなる動きをしている人でもある。

誰かの紹介や、インターネットを深く深く探して連絡方法を探す。手紙を書いて送ったり、誰かに託して渡してもらう。そういった地道な行動を重ねている。自分と他者の時間軸。そこに正解もないし、限界の許容量はそれぞれに託されている。標準を起点にすることもできないような事柄。だからこそ受け止める態度に悩むこともある。比べることがないような人になりたい。そう思いながらも思い悩んだりする。一人でできることの楽さや辛さを考えることも、これからかもしれないと思いながら今日を終えようと思う。