生きている間
2019年7月6日
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いつ終わるかわからない。だから「やる」を選ぶ。
それは、分かる。ただ、生きている間にしかコミュニケーションはとれない。だから、いつ終わるかわからないから、無理矢理にでも。と、いう考えには乗れない。と、いう話である。
生きている間に無理矢理やるとおこる「無理矢理やってしまった」という感覚。
それを選ばずに、時が来るのを待つ。というコミュニケーションをしているのだと思う。終割っている場合ではない。僕は自分自身に、どうか無事であれ、健康であれと率直に願う。
明日終われば後悔する。それは分かっている。ただ、生きている間にしかコミュニケーションはできないから、生きていることが続くように、健康であり、無理をせず、車両をよく見ることにする。
もう10年近く前に何度か病院にお世話になった。そういうことは現実にある。周りも大変な時期だった。
だから願う。健康で、無事であること。まだ長いこれからである。そんなことを考えながら阪急電車は進んでいた。