生活
ある日考えたこと。友人の結婚式のこと。
2024年1月8日
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昨日は友人の結婚式で、今日は職場の仲間の退職飲み会。飲んだり食べたりも多いけれど、隙間を縫って制作と、ありがたくも決まっている展示や書店でのフェアやイベントの内容を詰めている。書店でのフェアでは、場所を貸していただく店舗にとっても収益が上がるものにしたい。作家は作り、出版し、展示をすることが目標になっていることが多いと思うけれど、場所を貸してくれる店にとっての収益が抜け落ちていたりする。自分は書店に関わってきたこともあって、場所というものがどれだけシビアかということを少なからず知っている。

「本屋なんですね(!)置いてください」。悪気なく発せられるその言葉。自分が書店に関わっていることを知った作家が発する一番多い言葉はこれで、入荷したはいいものの作家からの支援はなく、発信もされず、結局は返本となる事も多い。一冊の厚みは作家が思っている以上に分厚い。棚にとっての1cm、2cmは想像の10倍厚みを持っている。心得て本のことを考えたいと思っている。

そしてここからは昨日の友人の結婚式の話。

出会いは18歳か19歳の頃、デザインの専門学校でグラフィックデザインを学びながら、ファッションやインテリアコースを含めた全コースを横断する制作グループに所属していた。学生の頃は意思を持って決めることがなく、誰か信用できる人が導いてくれる方向に疑うことなく進むことが多かった。高校三年生の担任が学校を勧めてくれて、専門学校の同級生だったOがその制作グループに入っていると聞き参加をした。

結婚をしたのはそのグループで出会った友人で、2人の子を連れての結婚だった。長男とは何故か友人と僕の3人で動物園デビューをしたり、次男が生まれた頃には友人何人かで集まりクリスマスパーティーを開いた。自分は写真を撮りながら仕事もしていて、休みの日は写真を撮りに行ったり、早くに予定を決めてしまう事もあり、しばらく会えない事も多かったけれど、昨夏に連絡をもらって久々にその子供や友人に会った。再婚をするお相手も柔らかく優しい雰囲気の人。緊張しがちな自分でも話し始めるのに時間のかからない人だった。

結婚式の日、自分には役割もなく一つずつの行事を見守っていた。披露宴を楽しんで、他の再会した懐かしい人たちと話していた。

子供という存在の大きさをこんなに感じたかなという式だった。始まりから終わりまで、二人の兄弟が、結婚をする二人をエスコートしていく。二人を挟んで座り、食事をしたり、手紙を読む傍らには二人がいた。家族、親という存在が人を作り上げるその影響は本当に大きい。誰かとの関わり方、成長の仕方。料理洗濯をできる小学生は、仕方なさだけではなく親を守る気持ちもあったからこそではないか。そういえば自分も弟の事情で夜に両親がいない時期があり、夕方に兄とお弁当を買いに行ったり、帰ってくる両親のために夕飯(お鍋とか簡単なもの)を作っていた。

母が子どもたちに手紙を送っていた。私たちが知らないことが多いはずの家族について、綴られた言葉からその子を取り巻く状況や人間性が伝わってくる。こんなにもお互いを見合えている親子がいるんだなと心が忙しい。一番長くお互いを守り続けていた母と長男は泣いたり笑ったりしながら手紙を読んで、お互いの涙を拭いていた。こんな関係があるのかと、言葉にならない気持ちに包まれていた。

人を見て、言葉にする。そんなことを丁寧に積み上げできた母の子供や新しい夫との関係、自分を含めた友人たちへの言葉には、確かにお互いを見る目があり、それぞれがありがとうと心から感謝をしていたように思う。

「めっちゃ良かったな」と友人たちと話し合いながら帰った。新郎新婦と子どもたちは式後、すぐさま二次会に登場していつものように楽しい時間を過ごしていた。あれから20年近く、本人が出会ってきた近い人たちが心から楽しんでいてとても贅沢な気持ちで1日を終えた。