この期間の話
2020年4月14日
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新型コロナウイルス感染症の流行で、仕事がリモートワークになった。たまに本の入荷があったり、職場でしかできない作業があったりで、数名が大阪の中心地まで出勤をしている。このままでいいんだろうかと思いながら、物流は止められず、そのような対応になっている。皆んなが健康なままで再会できるようにと切に願っている。

休業になってから、通勤(往復3時間と少し)がないことで、いつもより余裕がある。慌ただしさがなく落ち着いて働いている。ZOOMで皆の顔を見るたびになんだか笑ってしまう。ああいうのはなんだか馴染めず、特に二人で話すときは相手によってはにかみが止まらない。なんとなく性格が似ていそうな人とはとくに大変だ。

そんなわけで、もともと事務所勤務だった自分はただ落ち着いて仕事ができている現状だ。ウィルスのことは人一倍気にしているのではと思っているが、人それぞれの反応を見ながら、強制的に価値観をプレゼンテーションされているようで、人の対応をよく観察している。こんなときは心配し過ぎているくらいがいいと思っている。

家族に相談をして、予定されていた自宅の扉の修理を延期してもらった。いまは他人が家に入ってくることは抑えたいと思ったのだ。扉がついているのは持病持ちの人の部屋だ。言ってよかった。それを伝えたこともあってか、父方と母方、双方の法事が延期された。決めたことを止めるには体力がいる。やっぱり言ってよかったと思う。

ここ数日で、スカイプやラインのテレビ電話で人と話す機会があった。顔が見えるのはいい。

8日からそんな暮らしになったが、いつまで続くかと心配している。早く済んで欲しいと思うが、見誤って時期早急にこの休業が明けてしまうことが一番怖いと思っている。見誤らないように。どうかと。

一週間が経ってペースも掴めてきたかと思い、この休みの間、仕事以外ですることを決めた。歓迎できることではないけれど、こんなに「家にいること」はここ何年もなかったことだ。

家で活動する。毎日。そう決めた。