生活
0324 メモ
2019年3月25日
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思いやる気持ちとは何だろうか。書き始めて早々に書くことではないが、答えは一向にわからないことではないだろうか。

ただ、なぜ「思いやる気持ち」について書こうと思ったかと言うと、「思いやりがあるなぁ」と人に対して思うことが、近頃多いと言うことだ。ありがたいことだ。本当にありがたい。

今日といえば、何かを話した時に眉毛が上に大きく動いた。「上に動いたな」と教えられ、あいやーこれはしくじった。という声を出したかは分からないが、仕草で現したことは間違いない。そして何かの拍子に大きなゼスチャーで肩が上がった。今日は体で表現する日だった。これに関してもしくじったな。と、思った。

しかし、これまでの人生でなかったことで、「眉が上がるのも、肩が上がるのも、これからもしたらいい※実際にはもっと優しい言葉だった」と言われて、今日もいたく感動したのだ。

今、私が感じる思いやる気持ちとは、「受け入れること」であり、「認めること」であり、さらには背中にサッと手を添えるような優しさのことである。

そんなことを自分ができているか、そんな風に振り返るようになったことも、今の私が新しくなっているような。そんな気がする。

誰といたいか。誰と会いたいか。そんなことを考えてきたと思う。すると、一人でどこかへ行くことが増えた。旅は少なからず自分を強くし、知らなかったことを教えてくれた。人と出会うことも、旅と同じく様々なことを教えてくれて、自らに変化をもたらしてくれると思う。

眉の上がりも肩の上がりも些細なことで流れていくようなこと。ただ、自分は流れず残すことが多い人。それが流れずそっと自然に「それもいいのだ※実際の口調とは違う」とかかった一声だった。

それは紛れもなく思いやり。この頃の話。