生活
余韻の時間
2019年2月20日
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この頃は時間に間ができている。

改行位置も変わったかもしれない。

いつもの改行位置に戻します。せかせかせずに、一つをしてから、しばらくの間がある。何をしようかと思いながら、一手間かけることをしてみたり、ものを整頓したり、昼寝をしたりする。そして本を読む。これはいいと思っていて、何よりもスマートフォンを見る時間が減った。写真と音楽と人。その三つはこの何年もの間、自分を形成してきたものだ。自ら取りに行くようなもの。自らの興味から始まるのが写真と音楽だとしたら、人はその人から受けるものがとても大きい。ありがたいことに、そういうことだ。ある日、焚き火をすることがあった。ある日、ただただ山の中を歩いた。そんなことが自らを形成していっていることを実感する日々にある。

なんだか体が言うことに従順になっている。眠たいのであれば、眠る。食べたいのであれば、食べる。欲にそのまま、と言うわけではないけれど、あ、今そういう風に体が向いてるんだな。と、言うことが近頃よくわかる。と、言うことです。

生まれてからやったことがなかったこと。スクラップブックを使い始めた。それも、余韻の時間に始めたことだ。重ねていたものを順番にして、ページに分けて貼ってみた。少しばかりのメモとイラスト。この冬は牡蠣をよく食べた。その影響からか、イラストで人を描くたびに輪郭が牡蠣型になっている。らしいなと思ってそれを定番にした。これを一冊目として、二冊目、三冊目と続けばいいと思っている。

余韻の時間を迎える前には、5月の展示のための作業をしている。プラン立てのしんどいものだけど、これはいいものになると思っている。人にアドバイスを求めたところ「これはもうあなたの中で決まっているでしょう」「惜しむなよ」と言う、明確な言葉をもらった。アドバイスではなかった。あなたは人に聞く必要のないことを聞いているね。と、ぼんやりとしていた自分の中の決定事項を明確にされたのでした。あ、これはすごいと思ったことでした。

さて、今からもう少しだけ集中をして、また余韻へと向かおうと思います。
明日も明確なものと余韻が程よく浮かんでいきそうな。そんな気がしています。